入善町議会 2020-09-01 令和2年第18回(9月)定例会(第2号) 代表・一般質問
防災の日は、大正12年9月1日に発生した関東大震災にちなんで制定されたものであります。多くの人が台風、高潮、津波、地震等の被害についての認識を深めるとともに、防災週間を通して、地域においては災害を想定した被害訓練が実施されたところであります。この訓練の主要組織は自主防災会であると思います。本年の防災訓練に参加した組織数と人数は。また近年の累計数はいかほどであるか、併せて答弁願います。
防災の日は、大正12年9月1日に発生した関東大震災にちなんで制定されたものであります。多くの人が台風、高潮、津波、地震等の被害についての認識を深めるとともに、防災週間を通して、地域においては災害を想定した被害訓練が実施されたところであります。この訓練の主要組織は自主防災会であると思います。本年の防災訓練に参加した組織数と人数は。また近年の累計数はいかほどであるか、併せて答弁願います。
その理由は、97年前に起きた関東大震災がきっかけでした。
大正12年9月1日の関東大震災の発生、その惨事を忘れないように9月1日を防災の日と定めています。また、この時期は台風の被害が多いことから、9月を防災月間と定められているものであります。 ことし9月29日、入善町総合体育館周辺で、朝日町、黒部市の1市2町で富山県総合防災訓練が実施されました。大規模地震と、県東部に局地的豪雨による各種災害の発生を想定したものであります。
この防災の日は、1923年、大正12年9月1日に発生した関東大震災で大変大きな被害を出したことから、後世に風化させないよう、また9月の時期が日本にとって台風にさらされる時期とも重なっていることから、国民に防災意識を高めるための日として定められています。
389 ◯ 27番(佐藤 則寿君) 私は、東日本大震災のあった3月11日や関東大震災が起こり防災の日となっている9月1日を中心に、年に2回は防災のための家族会議を行うことを推奨しております。 公明党は、大災害に際しては、単なる復旧ではなく、未来に向けた創造的復興の推進に努めております。
死者、行方不明は2万5,949名であり、関東大震災に次ぐ被害でありました。被害総額は16兆円とも25兆円とも言われているが、まだまだ解決されない多くの問題が山積みであることは言うまでもないところであります。また、平成28年4月には熊本地震が発生し、5市町の庁舎が損壊し、災害対策本部の機能が皆無となり、被害情報の収集ができなくなるなど、いまだに復帰できない事態であるということであります。
きのう、きょうと、非常に自然災害についての質疑が多かったわけでございますけれども、「災害は忘れたころにやってくる」という名文句は、物理学者の寺田寅彦先生の言葉でありますけれども、先生は、関東大震災の後に、災害は再び進化をしてやってくるというような言葉も言われておりますけれども、まさに近年の自然災害を見ておりますと、本当にそうだなというような感じもいたしております。
◆14番(荻野信悟君) 今、まさにこの9月というのは、1日が大正12年の関東大震災ということで9月1日が防災の日ということで、今、行政チャンネルのほうでも、市長みずから防災ラジオについてPRをしております。
1923年に発生しました関東大震災や、1959年に発生した伊勢湾台風の教訓として、国民が台風・洪水・地震・津波などの災害について認識を深め、自然災害に対する備えを十分強化することにより、災害の未然防止と被害軽減に役立てる目的で、1960年に制定されました。 東日本大震災から4年半になろうとしていますが、「地震は起こると思っていた」「でも、まさかそれがきょうだったとは」の話が多かったそうです。
毎年、関東大震災が発生した9月1日は台風の襲来が多い時期でもあり、災害への備えを怠らないようにとの戒めを込めて「防災の日」と制定されました。 その日にあわせ、富山県内では、大地震を想定した一斉参加型の防災訓練、「シェイクアウトとやま」が県内各地の学校や企業など約13万7,800人が参加して行われました。
この防災の日は、国や地方公共団体、そして国民の防災意識を高めるため、1923年9月1日に関東大震災が発生したことにちなんで、1960年に制定されたものであります。 また、この防災の日を含む1週間を防災週間として、全国各地で防災に関する行事などが行われました。当町においても、この防災の日を前に、8月23日に町総合防災訓練が行われたところであります。
ほかに関東大震災のときに虐殺された朝鮮人の人数が「通説的見解でない」という新基準の適用で書き直されました。また、新基準の適用ではありませんが、消費税増税の記述に「拡大する社会保障費を国民全体で広く負担するという社会保障と税の一体改革が進められる中」と政府の言い分が書き加えられました。
9月1日の全国防災の日は、大正12年9月1日に関東大震災が起きました。その災害の教訓を風化させないことや、台風災害が起こりやすい時期であることなどから、「全国防災の日」として昭和35年6月11日の閣議で決定されたものであります。 魚津市におきましても、昭和31年9月10日に、旧の市街地の約4割に当たる1,600軒以上が焼失する魚津大火が発生いたしました。
90年前、死者、行方不明者10万5,385人という国内災害史上最悪の犠牲者を出した関東大震災。この惨禍を忘れぬように戒めを込めて定められたのが「防災の日」、9月1日です。これまでの90年間にも、昭和三陸地震津波、伊勢湾台風、阪神・淡路大震災、東日本大震災など100人以上の犠牲者を出す災害が実に24回も発生しているということです。
9月1日は関東大震災にちなんで制定をされました「防災の日」であり、8月30日から9月5日までは「防災週間」でありました。9月1日を中心に全国で防災訓練が行われ、魚津市でも9月30日に予定をされております。阪神・淡路大震災や東日本大震災があったこともあり、全国で災害に強いまちづくり、防災まちづくりなどいろんな計画、施策を出されている自治体も多くなっております。
大正12年、この日に起きた関東大震災の教訓を忘れないようにという意味と、この時期に多い台風への心構えの意味も含めて昭和35年に制定されたものであります。 1日は国をはじめ全国的に防災訓練が行われましたが、立山町においても「総合防災訓練」を実施いたしました。上段地区の皆さんにご参加をいただき、大雨による土砂災害の想定のもと、避難勧告・避難指示に対応して住民避難訓練を中心に行いました。
古くはあの関東大震災でも1カ月後に帝都復興院が設置をされ、縦割り行政を乗り越えた早期復興が目指されたわけであります。 そして、阪神・淡路大震災のときは現地を中心に直ちに仮設の焼却炉の設置が行われ、兵庫県内7市町に24基の焼却炉を建設し、その処理に当たられました。1年後には50%を超える処理が完了し、2年間でほぼ処理されております。
死者、行方不明者、合わせて14万人を超えた1923年9月1日の関東大震災では、日本は治安警察法のもとに置かれていました。民主主義社会がいまだ構築されていない時代には、朝鮮人が暴動を起こすというデマが大々的に流され、数千人の在日朝鮮人、朝鮮人の虐殺事件がありました。これは権力の側から流されたデマだと言われております。
テレビの放送の中で、神奈川県横浜市にある山下公園は、関東大震災の復興事業として、瓦れきを使い海を埋め立てて造成したとあります。千葉県においても、ディズニーランド近くに瓦れきの埋め立てをし公園を考えている。しかし、調査や審査で許可を受けるのに2年間余りを要すると言われています。事業を始めるときは瓦れきの存在すらどうなっているのかと言われています。
当時、東日本大震災との名称は決まっていませんでしたが、3月18日、議会最終日の討論で、私は、東北三陸沖でマグニチュード9という東北関東大震災が発生し、過去に経験のない未曾有の大災害が起こり、いまだ行方や安否がわかっていない方が数万人いるとの報道であります。